別れと出会いの春がきて
「お姉さま、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう、祐巳」
「私は泣きません」
「じゃあ、その瞳から流れてるのは一体なんなのかしら?」
「こ、これは汗です」
「ふふ」
「嘘じゃありません!」
「ええ、分かってるわ。心の汗よね。別名涙とも言うわ」
「違います。泣いてるわけじゃ」
「祐巳が泣いているとか、笑っているとか、そんなことで私は杭を残したりしない。ただ祐巳が無理しているのが一番心配。泣きたいと思ったときに泣ける、笑いたいと思ったときに笑える人がいるのかってね。私はどっちなのかしら?」
「お姉さまは」
そんなこと聞かれるまでもなかった。
私はお姉さまに身をゆだねてひたすら涙を流し続けた。
「私が卒業しても祐巳は妹よ。だから私の前で無理なんかしないでね」
春はお姉さまが卒業してしまった季節。
もうお姉さまはいないって実感するのだけど。
この寂しさは果たして妹を作ることによって解決できるのだろうか、私には分からなかった。春は出会いと別れの季節だと誰かが言った。私はその言葉を信じていなかった。お姉さまと別れたのは確かに春だったけど、出会ったのは秋だった。
だからというわけではなかったけど、私が妹を作るなら秋ごろなのかなんて勝手に思っていた。
「はあ」
と盛大に溜め息をつく。
こんなところを親友に見られでもしたら、朝からたるんでるわよと言われかねなかったが私は誰もいない薔薇の館で一人紅茶を飲んでいたので、もちろんそんなことにはならなかった。
そろそろ授業が始まる時間だ。
めんどくさいと思いながらもカップを下げて、教室へ向かった。
空は相変わらず青くて、雲は相変わらず白くて、銀杏並木は相変わらず緑色に生い茂っていた。
「寂しいな」
変わってしまった日常。
心にぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感が私をとめどなく襲う。山百合会の仲間に囲まれていれば少しはその気も紛れるかと思ったけど、やはりお姉さまの穴を埋められるのはお姉さましかいないのだった。
「寂しいな!」
二度目は叫ぶように。
もしかしたら誰かに聞かれたかもしれないがそんなのはまさにどうでもいいことだ。黄薔薇様と知って私に文句を言ってくる子はいなかったし、お姉さまみたいに叫んでみれば少しは気が晴れるかと思ったからだった。
思えばもう大分時間が経った気がする。
時間なんて水の流れのようにあっという間で、とどめて置くことなどできはしないのだ。
「どうしたんですか?」
そんな私に声をかける生徒が一人。確かにそんな劇的出会いがあればいいと思ったことは否定しない。だけど、まさか私に話しかけてくる生徒がいるなんて思うはずもなく。
だってこれじゃ、
これじゃまるでお姉さまと私の出会いのようじゃないか。だけど、そんなはずないとかぶりを振って。
「別になんでもないのよ」
自分でもおかしくなるような愛想笑いを浮かべて振り向いた先に、まあ私の人生を変える子が立っていたわけだ。
お姉さまに似ていたわけではない。
お姉さまの変わりにしようとしたわけではない。
ただ彼女はその時一番私の欲しい言葉をくれたのだった。
「そうですか? でも、もし本当に思っているなら口にして出さないと誰も気づいてくれませんよ」
彼女は上級生であるはずの私に物怖じすることなく、そう言った。
「そうだね、そうかもしれないね」
「黄薔薇様には素晴らしい友達が一杯いるじゃないですか?」
私みたいに私を黄薔薇様と知らないで話しかけたわけではなかった。私を私と知ってそれでも彼女は私に関わろうとしてくれたのだった。
「ねえ、名前なんて言うの?」
「私ですか?」
「そうよ。あなたの後ろにあなたと同名の透明人間でもいるなら話はまた変わってくるのだけど」
「黄薔薇様ってそんな冗談も言うんですね」
私の時のように慌てたりしないかな、なんて思ったけど、思惑とは別にその子は口元を押さえて笑っていた。
「いえ、すいません。でも、私はそういう黄薔薇様の方が好きですよ」
「なっ」
不覚にも心臓が高鳴るのを感じた。
満面の笑みで唐突にそんなことを言われたら、誰でも心臓の一つや二つ飛び出してもおかしくないと自分に言い訳をした。
「顔赤いですよ。大丈夫ですか?」
「うん。これくらい大丈夫」
「そうですか。そういえば私の名前でしたね?」
この子の流れに巻き込まれて自分のペースが握れていなかった。主導権はあちらに握られていて私は完全に振り回されている。
「私の名前は有馬菜々と言います」
有馬菜々。
私もまさかこの時は思いもしなかった。
この子が私の人生をめちゃくちゃに荒らしまわってくれるような破天荒少女だったなんていうことは。
「知ってると思うけど、私の名前は福沢祐巳。一応黄薔薇様をやらせてもらってます」
「祐巳さまとお呼びしても?」
「構わないわ」
「そうですか。なら良かった。黄薔薇様って言いにくいんですよね。なんか早口言葉言ってるみたいで」
黄薔薇様は確かに三薔薇のなかじゃ一番いいにくいかもしれない。だけど、それはリリアンなら常識で。
「菜々ちゃんは外部試験なの?」
だから、そんなことを思った。
「違いますよ。なんでそう思ったんですか?」
「リリアンの生徒なら薔薇様の名前は結構有名だし、言い慣れてるかなと思ったの」
もしくは薔薇様に興味がないか、だ。
だけど菜々ちゃんは私のことを黄薔薇様だとわかったし、興味がまるでないというわけではなさそうだった。
「ああ、それなら違います。私が興味あるのは薔薇様ではなく祐巳さま自身なんで、だからあまり黄薔薇様という名称を気にしてなかったんです」
「へぇ」
薔薇さまじゃなくて私に興味があるなんて随分奇特な人間もいたものだ。志摩子さんの美貌に引かれたとかいうならまだ分からないこともないけど。
なんせ何の取り柄もない私だ。
「って、私!」
あまりの驚きに声が大きくなっていたのは言うまでもない。
「はい。祐巳さまです」
こんなこと本当に起こりうるのだろうか。
実はドッキリです、なんて周りから新聞部と写真部が出てきてくれた方がまだ信憑性が高い気がする。
「どうしたんですか?」
突然黙り込んだ私を覗き込むように菜々ちゃんは話しかける。
「私を興味があるなんて随分と珍しい人だなと思って」
私が答えると菜々ちゃんは目を丸くして、突然笑い始めた。
「ちょっとなんで笑うの?」
「すいません。あまりにもおかしかったもので」
私の発言の一体どこに笑いになる要素があったのだろう、疑問に思っていると菜々ちゃんが答えを教えてくれた。
「祐巳さまは下級生に人気なんですよ。今日だって通りかかったのは確かに偶然でしたけど、話しかける機会があればなっていつも思ってたんですから」
「そうなの?」
「はい」
こんなにも私に興味を持ってくれるのは嬉しいことだった。
そして、冗談だと思っていた志摩子さんの祐巳さんは自分の人気に気づいていないだけよ、なんて言葉をようやく信じてもいいかな、と思った。
「そうなんだ。自分のことながらビックリだよ」
同学年に志摩子さんなんていう完璧な人がいるからかもしれないが、私は自分がそんなに魅力のある人物だとは思っていなかった。確かにバレンタインデーでチョコレートをもらったことはあったが、それは私が薔薇様だから渡しに来たのだろうと漠然と思っていたし、今までにこんなにはっきりと言ってくるような生徒はいなかったから。
「菜々ちゃんはお姉さまいるの?」
「いいえ」
私はなぜそんなことを聞いたのだろうと自分でも不思議に思った。妹にしたくないといえば嘘になるが、あって十分も経っていないのにはっきりと妹にしたいと思ったかは疑問だ。もしかしたらただのきまぐれで聞いたのかもしれないし、そこに意味なんてなかったのかもしれない。
だけど、私の問いに菜々ちゃんはまったく違う答えを見出したのだった。
「祐巳さま! もしかして私をスールにしてくださるんですか?」
私は菜々ちゃんの言葉を五秒間咀嚼して、ようやく本日二度目の叫び声を上げるのだった。
「へ?」
一体いつそんなことを言っただろうか。
いや、待て。そもそもお姉さまと初めて会った時に私は同じ質問をされた気がする。そして、その時の私はお姉さまが意図する所を分からなかった。
「そうなんですね!」
だけど、菜々ちゃんは私なんかより全然聡い子で。
ずっと頭が切れるのだ。
「いや、その」
なんかもう違うなんて言えそうにもない状況で。
どうしようかと天を仰ぎ見ると、
相変わらず青い空が広がっていて、
「ロザリオの交換とかいつしますか?」
私の意思とは無関係にどんどん話は進んでいって、
視線を落とすと満開に咲いた桜は私たちを祝福してくれてるようで。
「どうします」
菜々ちゃんは期待に満ちた目で私を見つめていた。
「ちょっと、待ったーーーーーーーーーーーーーー」
そう私の波乱万丈な日常はまだ始まりを告げたばかりにすぎなかった。
「ありがとう、祐巳」
「私は泣きません」
「じゃあ、その瞳から流れてるのは一体なんなのかしら?」
「こ、これは汗です」
「ふふ」
「嘘じゃありません!」
「ええ、分かってるわ。心の汗よね。別名涙とも言うわ」
「違います。泣いてるわけじゃ」
「祐巳が泣いているとか、笑っているとか、そんなことで私は杭を残したりしない。ただ祐巳が無理しているのが一番心配。泣きたいと思ったときに泣ける、笑いたいと思ったときに笑える人がいるのかってね。私はどっちなのかしら?」
「お姉さまは」
そんなこと聞かれるまでもなかった。
私はお姉さまに身をゆだねてひたすら涙を流し続けた。
「私が卒業しても祐巳は妹よ。だから私の前で無理なんかしないでね」
春はお姉さまが卒業してしまった季節。
もうお姉さまはいないって実感するのだけど。
この寂しさは果たして妹を作ることによって解決できるのだろうか、私には分からなかった。春は出会いと別れの季節だと誰かが言った。私はその言葉を信じていなかった。お姉さまと別れたのは確かに春だったけど、出会ったのは秋だった。
だからというわけではなかったけど、私が妹を作るなら秋ごろなのかなんて勝手に思っていた。
「はあ」
と盛大に溜め息をつく。
こんなところを親友に見られでもしたら、朝からたるんでるわよと言われかねなかったが私は誰もいない薔薇の館で一人紅茶を飲んでいたので、もちろんそんなことにはならなかった。
そろそろ授業が始まる時間だ。
めんどくさいと思いながらもカップを下げて、教室へ向かった。
空は相変わらず青くて、雲は相変わらず白くて、銀杏並木は相変わらず緑色に生い茂っていた。
「寂しいな」
変わってしまった日常。
心にぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感が私をとめどなく襲う。山百合会の仲間に囲まれていれば少しはその気も紛れるかと思ったけど、やはりお姉さまの穴を埋められるのはお姉さましかいないのだった。
「寂しいな!」
二度目は叫ぶように。
もしかしたら誰かに聞かれたかもしれないがそんなのはまさにどうでもいいことだ。黄薔薇様と知って私に文句を言ってくる子はいなかったし、お姉さまみたいに叫んでみれば少しは気が晴れるかと思ったからだった。
思えばもう大分時間が経った気がする。
時間なんて水の流れのようにあっという間で、とどめて置くことなどできはしないのだ。
「どうしたんですか?」
そんな私に声をかける生徒が一人。確かにそんな劇的出会いがあればいいと思ったことは否定しない。だけど、まさか私に話しかけてくる生徒がいるなんて思うはずもなく。
だってこれじゃ、
これじゃまるでお姉さまと私の出会いのようじゃないか。だけど、そんなはずないとかぶりを振って。
「別になんでもないのよ」
自分でもおかしくなるような愛想笑いを浮かべて振り向いた先に、まあ私の人生を変える子が立っていたわけだ。
お姉さまに似ていたわけではない。
お姉さまの変わりにしようとしたわけではない。
ただ彼女はその時一番私の欲しい言葉をくれたのだった。
「そうですか? でも、もし本当に思っているなら口にして出さないと誰も気づいてくれませんよ」
彼女は上級生であるはずの私に物怖じすることなく、そう言った。
「そうだね、そうかもしれないね」
「黄薔薇様には素晴らしい友達が一杯いるじゃないですか?」
私みたいに私を黄薔薇様と知らないで話しかけたわけではなかった。私を私と知ってそれでも彼女は私に関わろうとしてくれたのだった。
「ねえ、名前なんて言うの?」
「私ですか?」
「そうよ。あなたの後ろにあなたと同名の透明人間でもいるなら話はまた変わってくるのだけど」
「黄薔薇様ってそんな冗談も言うんですね」
私の時のように慌てたりしないかな、なんて思ったけど、思惑とは別にその子は口元を押さえて笑っていた。
「いえ、すいません。でも、私はそういう黄薔薇様の方が好きですよ」
「なっ」
不覚にも心臓が高鳴るのを感じた。
満面の笑みで唐突にそんなことを言われたら、誰でも心臓の一つや二つ飛び出してもおかしくないと自分に言い訳をした。
「顔赤いですよ。大丈夫ですか?」
「うん。これくらい大丈夫」
「そうですか。そういえば私の名前でしたね?」
この子の流れに巻き込まれて自分のペースが握れていなかった。主導権はあちらに握られていて私は完全に振り回されている。
「私の名前は有馬菜々と言います」
有馬菜々。
私もまさかこの時は思いもしなかった。
この子が私の人生をめちゃくちゃに荒らしまわってくれるような破天荒少女だったなんていうことは。
「知ってると思うけど、私の名前は福沢祐巳。一応黄薔薇様をやらせてもらってます」
「祐巳さまとお呼びしても?」
「構わないわ」
「そうですか。なら良かった。黄薔薇様って言いにくいんですよね。なんか早口言葉言ってるみたいで」
黄薔薇様は確かに三薔薇のなかじゃ一番いいにくいかもしれない。だけど、それはリリアンなら常識で。
「菜々ちゃんは外部試験なの?」
だから、そんなことを思った。
「違いますよ。なんでそう思ったんですか?」
「リリアンの生徒なら薔薇様の名前は結構有名だし、言い慣れてるかなと思ったの」
もしくは薔薇様に興味がないか、だ。
だけど菜々ちゃんは私のことを黄薔薇様だとわかったし、興味がまるでないというわけではなさそうだった。
「ああ、それなら違います。私が興味あるのは薔薇様ではなく祐巳さま自身なんで、だからあまり黄薔薇様という名称を気にしてなかったんです」
「へぇ」
薔薇さまじゃなくて私に興味があるなんて随分奇特な人間もいたものだ。志摩子さんの美貌に引かれたとかいうならまだ分からないこともないけど。
なんせ何の取り柄もない私だ。
「って、私!」
あまりの驚きに声が大きくなっていたのは言うまでもない。
「はい。祐巳さまです」
こんなこと本当に起こりうるのだろうか。
実はドッキリです、なんて周りから新聞部と写真部が出てきてくれた方がまだ信憑性が高い気がする。
「どうしたんですか?」
突然黙り込んだ私を覗き込むように菜々ちゃんは話しかける。
「私を興味があるなんて随分と珍しい人だなと思って」
私が答えると菜々ちゃんは目を丸くして、突然笑い始めた。
「ちょっとなんで笑うの?」
「すいません。あまりにもおかしかったもので」
私の発言の一体どこに笑いになる要素があったのだろう、疑問に思っていると菜々ちゃんが答えを教えてくれた。
「祐巳さまは下級生に人気なんですよ。今日だって通りかかったのは確かに偶然でしたけど、話しかける機会があればなっていつも思ってたんですから」
「そうなの?」
「はい」
こんなにも私に興味を持ってくれるのは嬉しいことだった。
そして、冗談だと思っていた志摩子さんの祐巳さんは自分の人気に気づいていないだけよ、なんて言葉をようやく信じてもいいかな、と思った。
「そうなんだ。自分のことながらビックリだよ」
同学年に志摩子さんなんていう完璧な人がいるからかもしれないが、私は自分がそんなに魅力のある人物だとは思っていなかった。確かにバレンタインデーでチョコレートをもらったことはあったが、それは私が薔薇様だから渡しに来たのだろうと漠然と思っていたし、今までにこんなにはっきりと言ってくるような生徒はいなかったから。
「菜々ちゃんはお姉さまいるの?」
「いいえ」
私はなぜそんなことを聞いたのだろうと自分でも不思議に思った。妹にしたくないといえば嘘になるが、あって十分も経っていないのにはっきりと妹にしたいと思ったかは疑問だ。もしかしたらただのきまぐれで聞いたのかもしれないし、そこに意味なんてなかったのかもしれない。
だけど、私の問いに菜々ちゃんはまったく違う答えを見出したのだった。
「祐巳さま! もしかして私をスールにしてくださるんですか?」
私は菜々ちゃんの言葉を五秒間咀嚼して、ようやく本日二度目の叫び声を上げるのだった。
「へ?」
一体いつそんなことを言っただろうか。
いや、待て。そもそもお姉さまと初めて会った時に私は同じ質問をされた気がする。そして、その時の私はお姉さまが意図する所を分からなかった。
「そうなんですね!」
だけど、菜々ちゃんは私なんかより全然聡い子で。
ずっと頭が切れるのだ。
「いや、その」
なんかもう違うなんて言えそうにもない状況で。
どうしようかと天を仰ぎ見ると、
相変わらず青い空が広がっていて、
「ロザリオの交換とかいつしますか?」
私の意思とは無関係にどんどん話は進んでいって、
視線を落とすと満開に咲いた桜は私たちを祝福してくれてるようで。
「どうします」
菜々ちゃんは期待に満ちた目で私を見つめていた。
「ちょっと、待ったーーーーーーーーーーーーーー」
そう私の波乱万丈な日常はまだ始まりを告げたばかりにすぎなかった。
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どうもー。
少しでも黄薔薇祐巳、江利子×祐巳を好きになってもらえれば幸いです。
少しでも黄薔薇祐巳、江利子×祐巳を好きになってもらえれば幸いです。
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ぜひ、続きを読みたいです。祐巳菜々とは珍しいですね。祐巳菜々のまま続くのでしょうか?
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